アドルフ・ヒトラーーAdolf Hitlerー(その生涯)

Adolf Hitler(20th April 1889 - 30th April 1945)

ドイツとオーストリアの国境にある都市ブラウナウで、
父アロイスと3番目の妻クララの間の子として生誕。

兄弟は異母兄弟含めて7人。
父アロイスの父が誰なのか判明していなかった事から、
ヒトラーの血にはユダヤの血が流れていたのではないか、
という説が当時からあった。

ヒトラー自身、自分の家系について疑問を持っていた為、
後日独自で調査をしたが、
曖昧なままで終わっている。

2010年にヒトラーの近親者からDNAを採取し鑑定した結果、
ヒトラーの祖先は、
北アフリカとユダヤ人の混血だった可能性が高い、
という調査結果も出ている。


母との関係は良好だったが、
父とは折り合いが悪かった。
父の仕事の為に引っ越しを繰り返したヒトラーは、
将来は聖職者になりたいという夢も幼くして挫かれ、
真面目だった幼少期から一変し、
中学を卒業する頃には口答えの激しい反抗的な子供へと育つ。

ヒトラーが最初にドイツ民族主義(大ドイツ主義=ドイツ統一を目指し、オーストリアを含めるという国家方針)に傾倒しはじめたのは、
この頃であったと言われている。
なぜなら、父はオーストリア国主の支持者であり、
オーストリアを根底から揺るがす大ドイツ主義を嫌っていたからである。

父没後、ヒトラーは数々の学校を退学しながら、
美術の勉強をしにウィーンに渡るも、
美術大学の入学試験には2度も失敗した。

もともと人物を描く事が苦手だったヒトラーは、
二度目の受験失敗の際に「建築家になってはどうか」とのアドバイスを受ける。
しかし、建築大学を受験する資格として、
中等学校(現在の高校)の卒業が必要だと分かり、
ヒトラーは建築家の道も諦める事となる。

そこから数年放浪生活を送り、
図書室で本を借りては、反ユダヤ主義や人種理論などの、
偏った知識を得て行った。


女性関係については、
よくあるやり手の男のように華々しかったわけではない。
性的不能であったのではないかという説が浮上するほどである。

姪のアンゲリカ(ゲリ=ラウバル)を寵愛し、
別荘ベリルホークに住まわせたが、
いわゆる近親相姦的な関係であったかどうかの確証はない。
ゲリは23歳の若さで拳銃自殺し死亡した。
以降、ヒトラーは一切の肉を受け付けなくなり、
完全な菜食主義へと転化する。

女性党員からの支持を得るため為、
固定の女性との表立った付き合いを避けていたが、
ゲリ亡き後、
愛人がいた。
ヒトラーが地下壕の中で自殺を計る前日に、
妻として迎えたエヴァ=ブラウンである。

ヒトラーはこうも言い残している。
「エヴァは好ましい女性だが、わたしが生涯愛したのはただひとり、ゲリだけだ」

ふたりの女性については後述する。